2021 年画廊企画PART 5
アマダレ2021
北澤知佳・佐々木菜摘・琢磨香織
▲「夕暮れクリームソーダ」364×515mm アートクロス、水干絵具、胡粉、ピグメント 北澤知佳作
2021年5月15日[日] ― 23日[日]
Am10:30 ―PM7:00 (火曜休廊)
東北芸術工科大学日本画領域の教授であり、昨年横須賀美術館や新潟市立美術館でも企画個展が開催された長沢明氏が、この画廊翠巒で個展を開催したご縁から実現した当画廊と長沢明氏による東北芸術工科大学大学院日本画領域を修了、または在籍中の 今後の制作に期待を寄せる若手作家の選抜によるグループ展の第7回展です。
彼女彼らの「溢れんばかりの才能の表現を発表する機会を、企画画廊で提供したい」との思いから実現したグループ展「アマダレ」です。 多くの美術支援者の厳しくも、暖かいご批評、ご高覧を賜われれば有り難くご案内申し上げます。
本展も昨年に続き、新型コロナ禍の中、様々な自粛要請が政府から発令され、このグループ展の開催についても検討してまいりましたが、今回も画廊での「アマダレ2021」開催を決定致しました。昨年は作家の来県の自粛、ともない作家の在廊は自粛となりましたが、展覧会開催に伴い来廊されるお客様を含む画廊内滞在人数は限定し、画廊内の殺菌、マスク着用義務化、出入口に除菌液を設置致し開催致します。
また開催期間中、作品の画廊展示風景をSNSで動画配信し来廊が可能でない方でもネット上でも作品鑑賞いただけますのでご利用下さい。
画廊主 梅津宏規
「アマダレ」 グループ展主旨
芸術の世界は必ずしも結果を伴うものではないが、たとえ結果がどうであれ、描き続けていくだろう彼等。一つの方向を向き描き続ける作業は、雨だれが石を穿つ様と重な、ときには「描くべき意味」を飛び越えていく。描くことが思考を超えた時にしか、見せることができない世界がある。私は芸術のフィールドに、そんなプレイヤーに立ってもらいたい。
またアマダレは「!」の別名であることから、彼らが自分の世界を求める中で見つけた「!」を、僕らにも見せる機会になってほしい。
長沢明
北澤知佳
ある風景と食べモノが溶け合い滲みとなって、こちらに語りかけてくる。そんな、モノが語る風景を描いています。
私達の身の周りに溢れているモノ達を眺めていると、時々何か生きモノのように見えてくることがあります。このような瞬間と出会う度に、実は彼らも意思を持っているのではないかと私は思う。
これは自身の心情に他ならないのですが、滲みを通して眺めたときに新たな趣が生まれ、そこにモノが語る風景が朧げに浮かんでくるのです。表現としてこの出来事を、自分の力ではどうにもならない偶然を引き出すために、滲みという自然現象を脱力しながら描いています。
古来から水墨画に見られる滲みの技法を表現の核とし、飴玉のような透明感のある色彩を輝かせることで、現代の表現の中に取り入れています。このように、画面に自然の流れの滲みの動きや物語の広がりを出すことで、人間とモノの境界を見つめていきます。
佐々木菜摘
人間社会に疲弊して、人間として生きていることに違和感を覚えるようになってから、何か別の生き物になってしまいたいという思いが私には強くありました。そこから人間の体で生きていながら、自分以外の他の生き物になりたいという感情はどこから来ているのかという疑問を元に、自分が在りたい生き物の姿を描いています。
こんな生き物がどこか見知らぬ世界で存在しているかもしれないと感じられるような肌の質感や耳の生え方などの描写、また空間になじむ柔らかい色彩と日常的なモチーフを取り入れることで、生き物の違和感ある形を引き立たせることを意識しています。そして、異星人と遭遇したような不思議な存在感ある作品を目指しています。
琢磨香織
「吸い込まれるような、奥行きのある青」という漠然としたイメージを頼りに、青を溶いてきました。夜空の青さや仄暗さに惹かれ、その中で見え隠れする影を筆跡で確かめながらの制作です。青を眺めていると ぼーっとできたり、または思考が滑らかになって、自分自身に向き合えたりする感じがします。描くときは、僅かに色づく程度に薄めた絵具を何層も重ね、少しずつ進めていきます。そうすることでじっくり向き合わないと気づかない、微かな表情を表現します。
微かな存在にたとえ気づけなくとも、あるかもしれないということを分かっていたいのです。そして、そこに人の気配を持たせようとしています。青を眺める時、まっすぐ立っている自分の感覚を研ぎ澄ませられるよう、向き合っているものと対話する意識を持てるように。
北澤知佳 >PF |
「雨アメ」 |
「月光パン」 |
佐々木 菜摘>PF |
「リンジンの地へ 」 |
「!」 |
琢磨香織>PF |